2歳の娘が初めて『ありがとう』と言ったあの3秒で、僕は変わった

ありがとう 育児奮闘記

あれは、なんてことない水曜日の夕方でした。

会社を定時で出て、最寄り駅から保育園まで自転車で15分。お迎えに行って、娘を後ろに乗せて、家までの帰り道。たぶん、2歳の春のことだったと思います。

娘の言葉は、その頃ようやく増え始めていました。「ママ」「パパ」「わんわん」「いや」「もっと」。単語が少しずつ繋がって、二語文が出始めるかどうか、というあたり。

その日もいつも通り、僕は自転車を押して、娘を後ろの子ども乗せに座らせていました。家まで歩いて10分の道のり。途中の信号で、いつものように止まりました。

そのとき、娘がふいに、僕に向かってこう言ったんです。

「パパ、ありがとう」

はじめて、娘の口から「ありがとう」という言葉が出た瞬間でした。

3秒、何も言えなかった

正直に書きます。

あの3秒、僕は何も言えませんでした。

信号が赤から青に変わる前の、ほんの数秒の出来事でした。娘は僕の顔を見上げて、にこっと笑って、「パパ、ありがとう」と言って、それで終わり。それ以上、何かを伝えようとするわけでもなく、ただ、その一言だけ。

でも、僕はその短い言葉の重さに、押しつぶされそうになりました。

「ありがとう」って、家でもしょっちゅう聞いている言葉です。妻が娘に「これ、ありがとうって言おうね」と教えていたし、絵本でも何度も出てくる言葉。だから、いつかこの瞬間が来ることは、頭ではわかっていたはずなんです。

でも、いざ、その「いつか」が訪れたとき。準備していたつもりだった僕の心は、まったく追いつきませんでした。

信号が青になって、僕は何も言わずに自転車を押し始めました。後ろの娘は、もう次の話題に夢中で「にゃんにゃん、いた」と言っていました。

なぜ、こんなに動揺したんだろう

家に帰る道すがら、自転車を押しながら、僕はずっと考えていました。

なぜ、こんなに心が揺れているんだろう。

「ありがとう」と言われたから嬉しい、というシンプルな気持ちじゃなかった。もっと、深いところで、何か揺さぶられた感じがしました。

家に着いてから、しばらく考えて、僕はようやく気づきました。

娘の「ありがとう」は、僕がこれまで娘にしてきたことが、ちゃんと伝わっていた、という証明だったんです。

毎日のおむつ替え、何度もやり直した寝かしつけ、嫌がる歯磨きを必死で説得したこと、夜泣きでフラフラになりながら抱っこしたこと、保育園に送り迎えしたこと、ご飯を食べさせたこと。どれもこれも、娘は何も言わずに受け取っていた。当たり前のように、毎日。

でも、当たり前じゃなかった。娘は、ちゃんとぜんぶ、感じ取っていた

2歳の小さな頭の中で、娘なりに「パパは私のためにいろんなことをしてくれている」ことを理解して、そして、ある日、そのお返しとして、自分で覚えた「ありがとう」という言葉を、選んで、僕に手渡してくれた。

あの3秒は、たぶん、娘が「人生で初めて誰かに自発的に伝えた感謝」だったんだと思います。それを最初に受け取れた人間が、僕だった。それだけのことが、ものすごく嬉しくて、同時に、ものすごく重くて、僕は動揺していたんだと、ようやくわかりました。

妻に話した夜のこと

その日の夜、娘を寝かしつけたあと、リビングで僕は妻にぽつりと話しました。

「今日、信号待ちのとき、娘が『パパ、ありがとう』って言ったんだよ」

妻は、お皿を拭く手を止めて、ふわっと笑いました。

「えっ、はじめて?」

「うん、はじめて」

「すごいね。それ、すごいよ」

妻はそれだけ言って、また食器を片付け始めました。深く話し込むわけでもなく、淡々と。でも、その「すごいね」の一言には、たぶん、妻が育休中に娘に「ありがとう」を毎日教え続けてきた、その積み重ねの誇りが少しだけ含まれていたと思います。

僕は、ソファに座って、ぼんやり天井を見ていました。

育児って、目に見える成果がほとんどない仕事だと、僕はずっと思っていました。会社の仕事みたいに、プロジェクトが完了する日があるわけじゃない。何かが「できるようになった」と数字で言える瞬間も少ない。毎日同じことの繰り返しで、何が積み上がっているのかよくわからない。

でも、あの夕方の3秒で、僕は気づきました。

毎日の「何でもない繰り返し」が、ちゃんと積み上がっていたんです。

娘の「ありがとう」は、その積み上がりが、確かに娘の心の中に存在していたことの、はっきりした証拠でした。

あれから、僕の中で変わったこと

あの夕方から、僕の中で、ひとつ変わったことがあります。

毎日のなんてことない瞬間を、ちゃんと記憶しようとするようになりました。

朝の歯磨きで娘が口を開ける顔、保育園のバッグを自分で背負おうとする後ろ姿、お風呂で「ぱしゃーん」と水をたたいて笑う声、夕食で僕の取り皿に手をのばしてくる小さな指。

そういう、何の変哲もない一瞬一瞬が、いつか娘にとっての「パパが私にしてくれたこと」として、ちゃんと記憶に残っていく。だから、僕もその瞬間瞬間を、自分の中にちゃんと刻んでおきたい。

そう思うようになりました。

育児はゴールがない、と言われます。たしかにゴールはない。でも、ゴールはなくても、毎日の小さな返礼は、ちゃんとある。それを受け取り損ねないように、目の前の娘と向き合っていたい。

それが、あの3秒で僕が学んだことです。

もしこれを読んでくれているパパ・ママがいて、毎日の育児が「終わりが見えない」と感じているなら、伝えたいことがあります。

大丈夫です。あなたが今やっていることは、ちゃんとお子さんの中に残っています。それを言葉にして返してくれる日が、必ず来ます。それまで、ちょっと疲れたら休みながらでいい。一日でも続けていれば、いつかきっと、3秒の魔法の瞬間が訪れます。

あの夕方の信号待ちのことを、僕はたぶん、一生忘れません。

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